2022.04.21
レザープロジェクト

三田レザーの誕生に向けて

 

1年半ほど前の2020年10月ごろ、所属している一般社団法人三田青年会議所で、専務理事職を請け負った際、当時の理事長の中田英一さんと車移動をしているときに、何気ない会話からスタートしました。

青年会議所の理事長と専務は野球でいう投手と捕手、店舗でいう店長とマネジャー、

夫婦の間柄に近く、家族とすごすより長い時間を共有する変な間柄となります。なのでこれからの夢や野望などを語る機会が多くなります。

人口減する三田市

僕はもともとクリーニング業を継ぐために5年ほど前に、大手のスポーツ用品店を退職し三田へ戻ってきました。三田市は1980年代のニュータウン開発で急激に人口が増加し10年連続人口増加率全国1位をとり、賑わいとともに発展してきました。しかし、現在はその反動ともいえる少子化をともなう高齢化社会を迎え入れます。それも全国でも稀な速度で。。。

厳しい家業

そんな中、私の実家は明治創業のクリーニング店。老舗とまわりには言われていますが、毎日朝から晩まで必死に父と母は働いています。

クリーニングの市場規模は年々縮小し、いっとくは1000億市場が、コロナの影響もあり300億規模に。家業も三田市の発展とともに1980年代に急成長し、いまは年々厳しい経営状況となっています。また、大手の参入もあり、値段も大手にあわせていたので、いつもくたびれ儲けです。

わたしが帰郷した際に、大手にはできない何か特色をつけなければと考え、その時に全国でも取り扱いが少ないレザー製品のクリーニングが出来るようにと勉強と実践を重ねました。

いまでは全国各地からご依頼がくるようにまでなりました。

なんとかしたい

家業を続けているなかで、やはり、このまま続けていてもいつかは衰退してしまうとも思っていました。三田市自体が元気にならないと会社も戻らないなと考えました。

なにかまちおこしになるもはないかなと、クリーニングの配達中に毎日考えていたときに、

自分の経験(レザークリーニング)と、三田市には全国に誇るブランド牛三田牛があることから、その革を使ってブランドをつくり、三田市を盛り上げていけるのでは?!と行きつきました。

とはいっても、三田牛の革なんかの入手方法もわからないし、ましてや剥いだ皮をなめして革にする伝手もないし、できないだろうなーと半ばあきらめながらも心に持っていました。

偶然

そんなレザー製品をつくる夢をもっていました。そんな時、三田青年会議所で専務理事をすることとなり、当時の理事長の中田英一さんと車移動をしているときに、会社の事なども相談していて、そこから将来の展望についての話をしていたのですが、

三田牛の革でレザーを作りたいんすよねー

と、何気なく言ったら

え?それ出来るで

とまさかの返答。

中田さんは、三田食肉公社の当時顧問を務めておられたようで、全然知らなかった僕は驚きと喜びを持った記憶があります。

調べてみると

中田さんから三田牛についての知識をたくさん教えて頂きました。生産農家さんの家にもお邪魔しました。

農家さんが高齢化して継承者が少ないこと。経営的な観点で三田牛ではなく神戸牛をそだてることに切り替えたとこ。その他の要因もあり、年間200頭の生産しか現在はありません。3年前は500頭。

地域の誇りが消滅する危機をむかえていました。

地域の誇りを守るプロジェクト

三田牛は三田市民なら誰もが地域の名産とこたえるほど、市民の誇りともなっています。

そんな地域の誇りをまもるためにも、活用されていなかった革をブランド化し、少しでも高値で

牛が売り買いされ、また、手塩にかけた牛の革を、レザー製品として一生大事に使って頂くためにも、

絶対に製品化し、広めていこうと決めました。